英語 語学

教材に囚われ続ける弊害

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本屋の語学所コーナーに行く度にとんでもない量の英語教材を目にする昨今ですが、日本人の英語能力というものは凄惨なまでに低いままです。

例えば、TOEFLの結果をまとめた現時点で最新のレポート(2021年版)ではアジア地域で日本より平均点が低いのはラオスとタジキスタンだけです。TOEFLは受験料が非常に高く(最近はちょっと安いのも出てきた模様)、アメリカ留学などを目指す英語ガチ勢が受ける試験であり、TOEICや英検を受けている一般層よりも英語力が高い層が主な受験者であると思われます。が、その上澄みですらアジアで下から3位という惨状です。

https://www.ets.org/pdfs/toefl/toefl-ibt-test-score-data-summary-2021.pdf

教材が多いのはいいことなのか?

本屋に異常な量の英語教材が並んでいるのは今や何も珍しくないのですが、そもそもあんなに教材は必要なのでしょうか? あれだけ延々と英語教材が出版され続けるということは、出版社が「英語教材はカネになる」と踏んでいるからであり、要するに売れているということです。それだけ売れているにも関わらず、延々と新しい英語教材が売れ続けるということは既存の英語教材で英語が出来るようになる人が大していないということです。私は本屋の語学教材コーナーに足繫く通っていますが、新しく出版される英語教材はどれもこれも大した新規性はなく、たとえ明日から新規の英語教材が出版禁止になったとしても既存の教材だけで何の問題もなかろうと思っていたりします。

私は過去に複数の非英語圏の国に旅行して、それらの都市部の書店で語学書コーナーを観察してきましたが、狂った種類の英語教材があったのは日本だけでした。他の国にももちろん英語教材はあったのですが、種類の多さという観点から見れば日本がぶっちぎりでした。現時点で私が最後に滞在したのはベトナムのホーチミン市だったのですが、そこで見た複数の書店では英語教材はあるもののそんなに膨大な数があったわけではありませんでした。しかし、英語が使える人はホテルや空港で観光客を相手にする人以外でもそれなりにいたと思います。地元民しか行かないようなコンビニで働いてたバイトのお兄さんとか、食堂の警備員のおっちゃんとかでもフツーに英語で話しかけてきました。

語学における教材は補助輪のようなもの

個人的には語学学習にとって、いや割と何にでも当てはまると思うのですが、「教材」というのは自転車で言えば「補助輪」のようなものだと思っています。最初は慣れるためにある程度必要で、全くないというのはそれはそれで心もとない。しかし、いつかは外してそれがなくても自走できるように練習や実践を繰り返す必要があります。

日本には異常な量の語学教材があるのですが、これは言うなれば異常な量の補助輪が並んでいるのと同じことです。「この補助輪はマスターした! でもまだ自転車にすいすい乗れるようにならない! じゃあ次はこの補助輪で練習だ! (以下無限ループ) こんなに練習したのに何故か自転車に乗れるようにならない!! なぜだ!」みたいなことを延々とやっているのがほとんどの日本人が英語できるようにならねぇと悩んでいる理由な気がします。成人して学校から解放されたにも関わらず未だに英語を試験勉強だと思っている人のなんと多いことか。そもそもですが、その辺の本屋にはやたらと教材ばかり売ってる割にネイティブが読むような洋書は都市部の大型書店まで足を運ばないと手に入らない時点で謎です。試合を一切しないで練習だけでサッカー選手を目指しているようなものです。

この時代に何故そんなに英語教材が必要なのか???

世は既にインターネット時代であり、読解するための記事や書籍はネットやKindleなどでいくらでも入手可能な上、動画も見放題、音声も聞き放題、外国人と知り合うことも音声通話をすることもやろうと思えば何でもできてしまうこのご時世に何故かような量の英語教材が販売され、皆が必死に教材で勉強をするのか??

この問いについて考えた時、個人的な回答として「その方が楽だから」という結論に達します。

実践というのは教材を使った勉強とは全く異なります。

特に日本の英語教材は細かいところまで丁寧な解説つき、単語リスト、文法説明、全文和訳などがついていることが多く、日本語で全てわかるようになっています。その上、教材は「今日は何ページやった」とか「1日で何課から何課まで」とかやった量を目視点検しやすくなっており、管理が簡単で達成感も割とお手軽に得られます。

その一方で、外国語を実践するというのは全てが曖昧な世界です。実際の英文を読んでいても単語も文法も説明されませんし、日本語訳なんてついてません。辞書をひっくり返してもどうしても分からないとか理解があやふやだとかそんなことは日常茶飯事です。

慣れてないうちは音声通話なんて恐怖と不安以外の何物でもありませんし、自分が言ったことが通じたり通じなかったり、通じてても自分の発話がどの程度正しかったのかなどのフィードバックは英会話教室の外ではめったにもらえません。字幕がついてない動画を見てたら聞き取れないところが次々出てきて理解はつぎはぎとかいつものことです。

私は現在何語をやるにしても、初級教材は最初にガーッとやるものの、それが終わったらさっさと実物に移るようにしています。が、それでも時々教材が恋しくなって「やっぱり中級の教材もやろうか」とか本屋でうっかり新しい教材を買いそうになることが多々ありますので、教材がいかに簡単かという点については感覚的にとてもよくわかります。

「教材が簡単」と言われて違和感を持つ人も多いかと思います。人によっては難しい教材を「英語ができるようになるため」に頑張って勉強している、ということもあるかもしれません。

が、これはあくまで私の個人的な意見なのですが、不確定性の塊みたいな実践よりもすべてが網羅されている退屈な教材をやる方が心理的な負荷は少ないのではないか、と思います。特に日本の教育では「まず正解があります。正解に異議を唱えるのはウザいのでやめましょう。空気読めよ。おかしい、何故日本ではイノベーションが起きないのか?? 日本からGAFAを!」みたいな傾向が強く(注: 思いっきり私の偏見です)、学習時に完璧な正解が用意されていないという状況に慣れていない人が多いのもこの異常な教材量の原因になっている気がします。

しかしながら、自転車に乗れるようになるには何度も転んで痛い目を見ながら練習しないと永遠に乗れるようにならないのと同じで、外国語もこの曖昧さ、不完全性、不安、五里霧中感などの中を掻き分けて進む以外習得の道はないかと思われます。でもぶっちゃけ一回慣れたらそんな大したことないです。私も最初の頃は色々わけわかんなくて手探りでしたけど、今はオンラインで出来ることは大体なんでも英語でやってます。このブログの更新は日本語ですが。

まとめ

自転車に乗れるようになりたかったら補助輪を外して練習しましょう。

英語(または他の外国語)の能力を上げたかったら教材は早めに卒業して実践経験を積みましょう。

プログラマーになりたかったら教材をなぞってばかりいないで自分でプログラムを組みましょう。

最後の1つは自分への戒めです(´Д⊂ヽ

ハーバードのcs50コースを受けてる間は「課題の難易度高すぎィ!」とか思ってたんですが、修了したらゼロから全部自分でやることになり、まず何作っていいか分からんみたいな世界になります。特にAIを自力で作るのはマジで何から始めていいのか皆目見当もつかず目を回しています。とりあえず何も分からんことを承知で初心者歓迎のハッカソンに参加しようと思っています。

7/31日 追記

海外のハッカソンに初めて参加したら悲惨な結果になったので今度ネタ記事にしようと思います🤣

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