8月序盤にハッカソンに初参加して自分の英会話能力に激しい疑問を感じた結果、私は超遅まきながらようやく英会話の練習をしなければならぬと実感したのでした。
が、それでもやはり会話は億劫で「italkiでとりあえず100ドル分のクレジットを買うゾ!!」とか決意して2週間が過ぎ、3週間が過ぎ、「そうは言っても円安だしなぁ」とかグダグダ言って先延ばしていました。それでも何とか9月1日になってようやく50ドル分のitalkiクレジットを購入したのでした。
それでとりあえずitalkiで50ドル分の授業を受けるしかない状況に自らを追い込んだわけですが、問題は何の授業を受けるかです。ぶっちゃけ英語を習う事には毛ほども興味がないので、英語じゃない言語を英語で習うというのが理想でした。
インド英語で爆死したのでインド人やパキスタン人の南アジア訛りが強めの先生を選んで授業を受けようかとも思ったのですが、今の私のヒンディー語やウルドゥー語の知識はあまりにも少なく、別に実用する予定もほぼなく、先生雇ってまで教えてもらいたい事もほぼありません。とりあえず手持ちのニューエクスプレスプラスヒンディー語&ウルドゥー語を自力で消化するのが先決です。これらに書いてあるようなことを金払って教わっても仕方がありません。
フリートークをするにしてもいきなりプログラミングの事を話す気にもならないし、かと言って3 idiotsの感想を語りあっても仕方ないし、と思考が最高に迷走した末、突如「英語でベトナム語の発音習えばよくね???」というアイデアが降ってきました。
ベトナムの事なら話題には事欠きませんし、私にとってベトナム語の発音は長い間頭痛の種だったりコンプレックスだったりずっと心に引っかかってる鉛のようなものだったので、これを機に克服しようと思ったのです。どうせまともに発音出来ないのだから、最初の方の先生とのやり取りは英語でやるに決まっています。
そんなわけで、ハッカソンの後にうだうだ悩むこと一か月、私はようやく最初の授業を予約するのでした。
ベトナム語の先生選び
まず、英語が話せるベトナム語の先生を探しました。といっても英語が話せない先生の方が少数派なのでこれは大したハードルでもなく。あとは私がホーチミン市推しというかそこ以外住む気がないので南部の発音の先生が良い。そんなことを考えながら先生の出身地を見たり自己紹介の動画を見たりしていたところ、自己紹介動画でベトナム映画「ハイ・フォン」と同じようなベトナム語(要するに南部方言)を話している先生を発見します。「ハイ・フォン」を何十回も視聴した私は即その先生に決めたのでした。
ベトナム語のレベル判定
ビデオ通話を数年ぶりにする私は落ち着かないわ緊張のあまり授業の直前にお腹を壊すわでまぁ大変だったのですが(ビデオじゃなくても通話する前は毎回そんな感じですけど)、何とか授業開始時間にはトイレを脱出してパソコンの前に転がり込みました。1分くらい遅刻したけど仕方あるまい(白目) この豆腐メンタルなんとかなりませんかね。まぁコミュ障が頑張るとこんな感じに落ち着きます😇
一応授業前に私のベトナム語レベル(読み書きの基本は学習済み、辞書引きながらニュースやら本やら読んでる、発音はオワコン)を伝えておいたのですが、授業開始後に改めてレベルをチェックされました。簡単な文の聞き取り(ほとんど分かんなかった)とその読解(文字になった瞬間メチャクチャ簡単になって全部分かった😂)と発音(別の文章を音読)をやった結果、CEFRのA2レベル↓と判定されました。
学習を継続中の者・初級者 | ごく基本的な個人的情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、直接的関係がある領域に関する、よく使われる文や表現が理解できる。簡単で日常的な範囲なら、身近で日常の事柄についての情報交換に応ずることができる。自分の背景や身の回りの状況や、直接的な必要性のある領域の事柄を簡単な言葉で説明できる。 |
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ぶっちゃけA1の完全初心者になる気満々だったので意外でした。
授業は1時間で、レベル判定が終わった後は発音を教わりながら超初心者感溢れるやり取り(名前は何ですかとか兄弟姉妹はいますかとか)の練習をしました。
何故かベトナム語の発音が出来るようになってた
授業中に多少発音を直されたものの、私が苦手意識を持っていた綴りの発音は大して指摘されませんでした。きっと間違いが多すぎて指摘する時間が足りなかったんだろうと思って授業が終わった後にスカイプで確認をしたところ、何だか予想外の展開になってしまいました。
ワイ: 先生、tとthの発音を分けられないんですがどうしたらいいですか><
先生: え、フツーに出来てたけど
ワイ: えっ
先生: えっ
ワイ: 先生、下がる声調と重い声調が分けられないんですがどうしたらいいですか><
先生: え、フツーに出来てたけど
ワイ: えっ
先生: えっ
ワイ: 先生、khの発音が出来ないんですがどうしたらいいですか><
先生: え、フツーに出来てたけど
ワイ: えっ
先生: えっ
ええまぁ、ちょっとネタ的に茶化して書きましたが、何かこんな感じで苦手意識を持ってた、というか2年前くらいまでマジで全然ダメでトラウマじみた感じになってた発音が、何一つ練習してないのに何故か全部出来るようになっているというよく分からない事を言われてしまいました。
ここで、語学学習に聡い方なら
「いやいや、先生は学習者の下手くそな発音聞き慣れてるから分かるだけで、実際には通じないよ」
「間違いが多すぎて全部指摘するのだるいからテキトーに流してるだけじゃね???」
と思うかもしれません。ごもっともです。というか私もそう思いました。
先生を信用しないとは不届きな生徒だと思いつつ、これは何としても私の発音に関する客観的証拠を掴まねばなるまいと思い、勇気を出して困ったときの音声入力に頼る事にしました。

(;^ω^)んっ?

(;^ω^)んっ????
あれれ~?
数年前には何十回やってもthôiになってたのに今回はちゃんとtôiになってるぞ~😇
数年前には何十回やってもhôngとかhườngみたいになってたのに今回はちゃんとkhôngになってるぞ~😇
何故か知りませんがあれほど意味不明だと思っていた下がる声調と重い声調も全部出来てます。
繰り返しますがこの数年間はベトナム語の発音は自分には無理だと思ってて、下手に自己流で練習してヘンな癖がついたら嫌だと思って完全放置していましたので、練習とかはマジで全くしていません。
何年か前に発音をちゃんとやろうと決意したものの、音声入力はほんとに原文の欠片もないほどメチャクチャになるわ、ベトナム人に音声メッセージ送っても「全然分かんない😂」以外の返事が来ることはほぼなく、最早立ち直れないほどに諦めていました。それ以来ベトナム語の発音はほんとにトラウマみたいになってて、時々tとthが夢に出て来たりとかそんなジョークのようなほんとの話まであったりします。
それなのに、全く何も知らぬ間にフツーに全部発音出来るようになっていました。この数年間、ベトナム語発音に対するコンプレックスに塗れて来た私の人生は何だったんでしょう😇・・・・
結局何で発音が出来るようになったのか?
さて、ここまでお読みになった皆さんは「いやいや、オマエのしょうもない発音コンプの自慢話はもういいから、出来るようになった理由だけ教えてさっさと失せろ」とお思いかもしれません。
が、ぶっちゃけ理由に関しては「むしろ私が知りたい😇」の一言でございます。
しかしそれで終わらせてはこの記事が恐ろしく無意味になってしまい、流石にそれは忍びないので、ここはひとつ仮説を立ててみようと思います。
客観的に見てほぼ確実に正しい事項を列挙していけば、比較的信頼できる仮説に辿り着けるのではないかという希望を持ちつつ、事実を追っていきましょう。
事実1: 文法や単語の知識は無関係
まず一つ目の事実はこれです。というのも、上記のベトナム語は↓の超簡単な文だからです。
Tôi là người Nhật Bản = I am Japanese
Anh ấy có phải là sinh viên không? = Is he a student?
こんな教科書の最初のページに出て来るような例文すら、数年前は全く正しく発音できませんでした。そんなわけで、文法や単語の知識量はまず関係ありません。
事実2: 読んだベトナム語の量も無関係
これもほぼ確実です。
例えばですが、あなたが今古代ギリシア語の文学作品を読んでいるとしましょう。↓のような展開はあり得るでしょうか?
古代ギリシア語でホメロスを読み流すだけである日突然口から古代ギリシア語がすらすら出て来る! これで貴方もネイティブギリシアンの仲間入り☆
3000年前くらいの某通信教材の広告から引用
はい、どう考えてもあり得ません。大体ただ読んでるだけで発音がネイティブみたいになるなら、翻訳の仕事で大量のドイツ語文書を読んだ私は今ごろネイティブジャーマンになっていないとおかしいのですが、全くそんなことになっている気配はありません。
そんなわけで、これまでの数年間で読んだベトナム語もほぼ関係ないと思われます。
事実3: 発音練習は不要
これも確実です。だって私全く練習しなかったもの。
事実4: 発音の上達は耳を経由して達成された
文法も単語も無関係、読解も無関係、発音練習も無関係、となると消去法で残る可能性は耳から入った音声以外あり得ません。
この数年間、私はベトナム語で映画、ニュース、サッカーの試合を見たりしてきました。とはいえ、実際はそこまで大量に聞いていたとは思えません。映画やニュースはなんだかんだで英語で見ることの方が圧倒的に多かったですし。しかし、ここ1年くらいはベトナム語のサッカー実況とか試合の前後に入ってるコメンテーターの会話とかが以前よりかなり理解できるようになった実感がありました。長期間にちょっとずつでも耳に入れておく事に意味があったのかもしれません。
仮説1: 赤子と同じプロセスで発音が身に付いた?
上記の4つの仮説を基に考えると、耳から入ったベトナム語だけで私の発音はある程度改善されたことになります。つまり、赤子がやるのと同じ手法です。数年間ひたすら聞くのに徹して、自分が発音するのは大分後になってからというアレ。
子供も最初から全てを完全に正しく発音できるわけではありませんが、試行錯誤しながら上達していきます。私の音声入力も完璧ではないのですが、数回頑張ると思い通りの文を認識してくれることが多いです。数年前は最悪の場合100回やっても全くダメという有様でしたから、それと比べるとえらい違いです。
生まれてから幼児期くらいまでは語学を身に付けるのに極めて都合のいい年齢です。しかし、私のような40近くの中年が乳幼児と同じプロセスで発音を覚えられるのでしょうか。謎ですが、しかし現状ではどういうわけかそれが出来たと考えるしかありません。
仮説2: 英語、韓国語、中国語等、他言語の影響?
先ほども述べた通り、私のベトナム語音声インプット量は実は大したことなかったのですが、英語や韓国語の音声はそれとは比較にならないほど聞きました。また、中国語は話す練習をDuolingoで毎日地味にやっていたりします。
日本語は音の種類が少なく、口の形とかそんなに気にしなくても雑に音が出せる(注: 筆者の偏見です)のですが、韓国語やベトナム語、英語は音の種類が日本語より多く、口の形や舌の位置をかなり正確にしないと正しい音が出せません。
そんなわけで、これらの言語を大量に聞いていたのもベトナム語の発音に好影響を与えた可能性があります。
例えば、韓国語とベトナム語は母音がほとんど同じだったりします。韓国人がベトナム語を学ぶ場合、新しく覚える母音はơ/âだけかと思います。あと、tとthにあたる音は韓国語にもあります(ㄷ(t)とㅌ(th)、多分同じ音だと思います)。韓国語のㄱ(k)とㅋ(kh)がベトナム語のそれと同じ音かどうかはちょっと分かりませんが、いずれにせよ音の複雑さという点で韓国語もベトナム語に劣りません(声調はないけど)。
また、中国語にもベトナム語より数は少ないとは言え声調が存在するので、中国語をDuolingoで毎日ちびちび練習していたことで多少なりとも声調に慣れた、ということもあり得ます。
結論: 音声を聞きまくるのが重要
上述した仮説1と2を合わせて考えた場合、他言語の影響があるにせよないにせよ、学習言語に含まれる音を大量に聞き続ける必要がある、という説が浮上します。自分で物理的に話す練習をしていない場合でさえ、耳から大量に入れて学んだ音はある程度ナチュラルに再現できるようになるという可能性を今回の経験から感じました。
とはいえ、全く練習しない状態ではやはり完全に出来るようにはならないので、ある程度耳から吸収したら自分でも練習する必要があるかと思います。
私はずいぶん長い間、文字ばっかり追って音を聞くのは少量かつ雑に済ませてきました。ここ4年くらいはYoutube等でリスニングする機会を飛躍的に増やしたものの、もっと早くやっておくべきだったと割と後悔しています。
まとめ
サーカスの象(鎖につながれた象)とは
学習性無力感(学習性無気力)やトラウマの説明に用いられるメタファー(例え話)。
サーカスの象は、杭につながれた鎖で逃げられないことを小さな頃から学ぶため、大きくなって鎖を杭ごと抜く力を得ていても、それを試そうともしなくなる。
これは、管理者によって管理しやすく教育されていることを表す。
「小象の鎖」、「象の鎖」とも言う。
自分で自分の限界を決めていることの例え話として用いられることもあるが、過去の環境がそうさせたことを忘れてはならない。
https://it-counselor.net/psychology-terms/chained-elephantより、太字は筆者による編集。
先月までの私はまさにこのサーカスの象でした。ぶっちゃけベトナム語の発音は自分には一生無理なんじゃないかと思ってましたし、本気でやってもし出来なかったら?と思うと不安で延々と逃げておりました。私にとってベトナムという国は極めて重要で愛着もある国です。その国の言葉がよりにもよって発音が難しくて(単語や文法が複雑なだけなら時間かければ何とかなるのですが)、試しても試しても全く通じるようにならないというのは割と絶望的なことでした。
今回のitalkiレッスンは「どうせベトナム語分かんないから英語で会話することになるやろ(適当)」という半ばヤケクソ、半ば開き直り的なノリで受けたのですが、発音が出来るようになってた事が突然発覚してしまい、私は割と大喜びで今まで文字を眺めるしかなかった文章をアレコレ声に出して読んだりしています。もちろん音声入力で確認しながらですが。
この記事を書き始める前に2回目の授業を受けたのですが、基本は英語で話すという当初の目論見は見事に外れ、分からない表現や単語がある時以外はほぼ全ての会話を拙いながらも一通りベトナム語でやりおおすという状態になってしまいました。
最近つくづく思うのは、語学というのは机上の勉強ではなく、長期の活動を通して体に馴染ませていけば誰にでもある程度は出来るようになるということです。何しろ(特殊な病気にかかってるとかそういう事情がない場合)誰だって母語は話せるようになるのですから。
今回、私の人生における最難関だとまで思っていたベトナム語発音を克服した事でその事をより強く確信しました。
そんなわけで、諦めずに日々何らかの形で触れていくことにより、外国語は徐々に身に付いていきます。重要なのは音声をたくさん聞くことと、自分が負担だと感じない何か楽しい事を学習言語で続けていくことではないかと個人的には思います。
なお、今回使ったitalkiの公式サイトはこちら↓

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