かなり久しぶりの更新となりましたが、語学学習勢の皆さまにおかれましては如何お過ごしでしょうか。私はコロナウィルス絡みのベトナム語記事の読解力が飛躍的に向上いたしました。
さて、堅苦しい前置きはこの程度にして、今回は私がたまたま手持ちの書籍の中で発見した現在のベトナムの開祖とも言うべき故ホー・チ・ミン国家主席の外国語勉強法を紹介いたします。
私が今回引用する本は
Bác Hồ - Tấm Gương Học Tập Suốt Đời

という本です。タイトルは意訳になりますが、
「ホーおじさん 生涯学習の模範」
みたいな意味です。Bác Hồはベトナム人がホーチミンさんを親しみを込めて呼ぶ際の呼称で、日本語に正確に訳すことはできないのですが、ここではよく使われている「ホーおじさん」という表現を採用しました。
この本はベトナムの書籍でアマゾンでは売っていないようです。私はこの本を新宿のBooks Kinokuniyaでたまたま買いました。買った当時はタイトルも内容もまるで分かっておらず、つい最近「あれ?この本もしかして外国語学習法載ってるんじゃね?」と気付いて急ぎ該当部分を辞書を引きながら読んだ次第です。
そんなわけで、今回は量は多くないですがこの本を引用しつつ、故ホーチミン国家主席の外国語勉強法を紹介していきたいと思います。引用部分は全て私による翻訳ですが、そこまで大きく間違っている事はないかと思いますのでご安心ください。
ホーチミン氏の外国語学習歴
同書の引用を出す前にホーチミン国家主席と外国との関係をWikipedia情報を参考に大まかに見ていきます。
ホー・チ・ミンはフランスの植民地(フランス領インドシナ)であったベトナム中部のゲアン省の貧しい儒学者、グエン・シン・サックの子として生まれた。父の影響を受けたホー・チ・ミンは幼少から論語の素読を学んで中国語を習得した。父が阮朝の宮廷に出仕するようになるとホー・チ・ミンも父とともに都のフエに移り、ベトナム人官吏を養成する国学でフランス語も学ぶようになった。
(中略)
その後、ラミラル・ラトゥーシュ=トレヴィル号という船の見習いコックとして採用されたホー・チ・ミンは、1911年6月5日、サイゴンを出帆してフランスへと向かった。同年7月6日にマルセイユに到着し、初めての外国暮らしを体験する。
(中略)
ホーは「世界を見てみたい」と思い船員として働くことをその後に希望した。のちにホーは船員としてアルジェリア、チュニジアなどのフランスの植民地とアメリカ合衆国、ラテンアメリカ、ヨーロッパ諸国を回っている。
(中略)
1913年にアメリカ合衆国を離れたホーは、英語を本格的に学ぶためにイギリスに移住した。1917年12月にパリへ戻ったが、この年に起こったロシア革命は彼の思想に大きな影響を与えた。
Wikipedia ホー・チ・ミンより引用 2020/3/23時点の内容です
(記事URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3)
見ての通り、彼は世界中を回っているために当然様々な外国語を覚える必要があったのですが、その方法が如何なるものであったのかを書籍の引用部分から考えていきます。
すぐに言えるように訓練せよ
では早速、彼の外国語学習が如何なるものであったか見ていきましょう。
本書の35ページに「外国語の学習方法」と題された章があります。この中で具体的な方法について触れている部分を引用します(和訳で引用しますが、翻訳したのは私です。日本語版は多分ありません)。
ドイツ民主共和国に留学した際にドイツの首相夫妻と朝食をとっている時の会話のシーンです。なお、このシーンに先立ってホーチミン氏がドイツ語、ロシア語、フランス語、英語、スペイン語などをある程度使いこなせていた点について言及されています。
「(ホーチミン)主席はドイツ語をいつから学んでいるのですか?」
「1924年からです。フランスからソ連へ渡り、その後ドイツに来ることになりました。準備はその15日前に始めました。毎日10の言葉を覚え、どの言葉もすぐに口に出せるよう練習しました。150も言葉を知っていればまぁまぁ話すことができます。ドイツに向かう道中ではドイツ人と直接会話ができたので、より良い練習になりました。」ホーチミン氏の外国語学習法は効果的な方法の一つではあるが、習得するという決意と非常に強い意志が必要である。
Bác Hồ - Tấm Gương Học Tập Suốt Đời 35ページより引用の上筆者訳
このページに書かれている事で実践的な内容はこれだけなのですが、いくつか非常に重要な事が示唆されています。
この重要な点について説明する前に、まずは毎日覚える「10の言葉」がどういう意味か考えてみます。実は、「言葉」と訳したベトナム語単語は「単語」と訳すことができ、この文脈ではどちらかというとその方が自然かもしれません。が、ドイツ語には単語の語形変化が存在し、また、単語を覚えただけでは文型も分からずすぐに話せるようにはならないため、おそらくここでホーチミンさんが意味した「言葉」というのは1つの基本的な「文」であったと推測されます。ここからはそのような解釈で話を進めていきます。
また、ドイツに向かう途中でドイツ人と直接話したということから、覚えた「言葉」の内容は基本的な挨拶や自己紹介、ちょっとした質問や雑談などそういったものであったであろうとも推測されます。ドイツに渡って初対面の人に挨拶するときに必要になる文やフレーズを覚えたはずです(全く使わない関係ない言葉を150覚えてもその状況で話せるようにはなりませんので)。
さて、ここで最初に述べた「重要な事」についてみていきましょう。これは2点あって、本文中から抜き出すと
どの言葉もすぐに口に出せるよう練習しました。
150も言葉を知っていればまぁまぁ話すことができます。
この部分です。単語、あるいは簡単な文を1日10個で約2週間、150個覚えるだけなら中学生の春休みの宿題として出しても十分出来るでしょう。休み明けのテストで満点近くを取る生徒だってそれなりにいるはずです。
が、重要なのは すぐに口に出せるよう練習 する事です。文章を考えたり、発音で詰まったり、必死に思い出そうとしたりすることなく、サラッと口に出せるまで練習する。これは1日10個であっても、並大抵のことではありません。綴りを覚えて紙に書くだけなら30分もあればできるかもしれませんが、反射的に口から出るまでに練習するには結構な時間と体力と気力を要します。
嘘だと思う方は手元にある外国語の辞書や参考書にある例文(興味あるものや自分で使えそうなものだとなお良い)を10個抜き出してそれを思い出す時間ゼロで噛むこともつっかえる事もなく全部すらすら言えるようになるまで練習して見てください。よほど特別な才能がある人でなければ相当に難しい事が分かるはずです。
もう一つ重要なのは、単語集などで大量に単語などをドバドバ覚えるのではなく、最初は150個と少なく押さえてそれらを十分に使いこなせるように練習するということです。2000の文をあやふやに覚えてどれもこれも思い出すのに物凄く時間かかってカミカミでしか言えないより、予め使う予定の文をすらすら話せるように練習しておく方が結局役に立つということです。
さて、本ブログの他の記事を読まれた方、あるいはある方の著書を読まれた方はピンと来たかもしれません。
そうです、ホーチミン主席のこの学習方法、東大卒マルチリンガルとして有名な秋山燿平さんの語学習得法とほぼ同じなのです。
ベトナムは共産党の一党独裁国家であり特にこの故ホーチミン国家主席は神格化されている面があるため、実はこの手のプロパガンダ的な本の内容を手放しで信用するのはやや躊躇われるのですが、実際に彼は世界中を渡り歩き、外交交渉などで優れた手腕を発揮していたので外国語はかなり使えたものと思われます。
その上、現代日本にも同じような方法でマルチリンガルになった人が実在しているのでこの記述についてはおそらく事実であろうと考えられます。仮に事実でなかったとしても、秋山さんの例を見れば方法としては有効ですので、私達は積極的に採用していきましょう。
勉強する時間がない時は
また、同書の38ページにもう一か所語学学習の方法が述べられている部分があるのでそこも引用します。なお、和訳は変わらず私がしています。
「私は外国語が絶対に必要だと思っていたが、勉強する条件は非常に厳しかった。教えてくれる人もいなければノートもない。その上、慌ただしく働きながら勉強する時間を捻出しなければならなかった。そこで、私は暗記したい単語を手の平と甲に書いた。お客様に料理の皿を運んでいく時、皿洗いをしている時、仕事をしながら頭の中で単語を繰り返した。ある単語を忘れてしまった時は手の平や甲を見てその単語を確認した。手に書いたものが滲んで消え去る瞬間まで暗記を止めなかった。その様にして私はひたすら学習を続けたのだ。」
Bác Hồ - Tấm Gương Học Tập Suốt Đời 38ページより引用の上筆者訳
料理の皿を運んだり、皿洗いをしていることから、この学習方法を取っていた時のホーチミンさんは見習いコックをしていたことが分かります(上記のWikipedia引用より)。
ちなみに、前回の引用文では「言葉」と訳した単語を今回の引用文では「単語」と訳しました。若干迷ったのですが、手の平や甲に文章をずらずら書いたとは考えにくいので、多分単語だったのかなぁ、と。ひょっとしたら細かい文字でびっしり文を書いて暗記してた可能性もありますが、そのあたりの解釈は皆さんにお任せします。
今回の方法でも、口には出していないものの、頭の中で何度も繰り返し暗記をしていたことが分かります。基本的にはこれも前述の方法に近いと言えると思います。時系列的にはこちらが先に実行された勉強法のようです。この方法では口に出して練習はしていないようですが、とりあえずノータイムで思い出せるようにしておけば会話の時にも口にすることは(多少たどたどしくはなるかもしれませんが)出来たかと思われます。この後に時間的余裕ができてから音読を足したのかもしれません。ただ、Wikipediaの引用では既に中国語を素読を通して習得していたとの事なので、声を出せる時はボソボソと呟いて覚えていたことも十分考えられます。
現代日本にも忙しくて勉強してる暇なんかないよ!っていう人がたくさんいそうですが、手に書いてひたすら暗記するだけなら満員電車の中でも出来そうです。英単語等を覚えたいけど時間が取れない!という方などは是非取り入れてみてはいかがでしょうか。
また、少ない時間の中で必死に暗記を繰り返すという点は以前当ブログでも取り上げたドイツ人の語学の達人、ハインリヒ・シュリーマンとも共通します。
まとめ
そこまでボリュームは多くないものの、おそらく外国語学習という観点から取り上げられたことがほぼなかったであろう故ホーチミン主席について書いてみました。
今回はたまたま持っていたベトナム語の本にこのような記述があったのでそこだけ抜粋して紹介しました。多分本邦初公開だと思います😂 ホーチミンさんの外国語学習法が書かれているページを他にも見つけたらまた改めて記事を書きたいと思います。
それではまた。