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「知識がある」事と「出来る」事はまるで違うという話

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以前、私がまだ日本語の英語学習界隈を徘徊していた時期に(最近は日本語のコンテンツをほぼ見ないのです)、時々目にした言説を今朝起きた時に謎に思い出しましたので、本日はそれについて思うことを書いてみたいと思います。

この言説というのは雑に言うと以下のようなものです↓

「英語をペラペラ話しているように見える外国人でも、よく聞いたら文法がメチャクチャだったりする。日本人は義務教育で英語の基礎が出来てるんだから練習したら彼らより上手く話せるようになる」

という類です。

私はこの手の言説を耳にするたびに(または今朝のように思い出すたびに)、なんだかな、と思ってしまいます。

「文法がメチャクチャな外国人」はそもそも文法を知らないのか?

この手の言説の謎なところは、「一見ペラペラだけど文法を間違いまくる外国人」は「日本人のように基本的な文法を知らないに違いない」という実にご都合主義的な解釈をしているところです。

もちろん本当に知らない可能性もありますが、知っているのに間違えている可能性だって大いにあります。

というのも、そもそも正確な文法を知っていても一切間違うことなくペラペラ話すなんてのはかなり難しいことだからです。

例えばですが、「三単現のs」なんてのはこのブログを訪問してくださっているような方であれば何方でも常識レベルでご存じでしょう。

あと、「have 過去分詞」が現在完了だとか、to不定詞とか、助動詞の後には必ず動詞の原形が来るとか。義務教育で全部習いますよね。

もちろん私も知っています。

知っている文法を実践するとどうなるか?

さて、私は普段音声での会話はほとんどしないのですが(最近は少しするようになりましたが)、文字でのチャットは毎日のようにします。

私の場合、カジュアルなチャットでは英文をバーーっと書いてそのまま送信し、相手の返事を待ってる間に今送信したものを読み直します。で、本来意図した内容と意味が著しく変わってしまうような大きなミスがあったらそこだけ訂正する文を送り直すなり、メッセージを編集するなりします。内容の伝達に問題がなさそうな場合は間違いがあっても放置します。それで大抵の場合問題ありません。

そんな感じで勢いよく書きまくる私の英文チャットはどの程度正確なのでしょうか?

答えを言ってしまうと、かなり雑で不正確なことが多いです。

例えば、

"have + 過去分詞"の過去分詞のところを原形にしてしまう
"like to do"とすべきところを"like do"とか書いてしまう
"would do"とか助動詞使った文に動詞の原形を入れ忘れてしまう
"for me"と書こうと思ったところが"to me"になってる
三単現のsを忘れたり、つけなくていい時につけたりしてしまう
notとかneverとか意味が180°変わってしまう語を入れ忘れる

等々、凡ミスに次ぐ凡ミスの嵐です。と言ってももちろんこれらを毎回間違えるわけではなく、どれもこれも時々やらかしたりやらかさなかったりです。文脈にもよりますが、たいていの場合は助動詞の後の動詞を忘れた時とか、notとかneverとか意味が完全に変わる単語を入れ忘れた時くらいしか訂正はしません(それ以外は訂正しなくてもほぼ通じるから)。

「送る前に確認すればいいのに」と思われるかもしれませんが、実際には訂正が必要になることなんてほとんどないのでいちいち毎回確認するより先に相手に送ってしまった方がチャットのテンポが良くなるのですよ。間違いに気付いたらそこだけ修正すれば良いので。

そんなわけで、文字をタイプするだけの比較的時間の余裕があるチャットでこれです。口頭での会話ではさらにミスが増えるのは言うまでもありません。

「知識として知っている」事と、「知っている事を毎回間違えずに再現できる」事はまるで別の事です。

我々が日々話している日本語を観察してみても、格助詞がメチャクチャだったり辞書に載ってないような用法で言葉を使っていたりと母語ですら「勉強した正しい日本語」で話している人なんてそんなにいません。でも意味が通じていれば多少間違いがあってもそれでOKとなるわけです(間違った結果メチャクチャ失礼な言い方になるとかそういう場合を除いて)。

そんなわけで、机上の勉強をいくらやったところで、実践では間違えます間違うのは必然であり、当たり前です。良いも悪いもなく、そういうものです。練習や実践を繰り返すことで間違いの程度や頻度を減らしていくことはできますが、完全になくすまでの道のりは平坦ではないでしょう。

無論、外交官などの一部の職業では「フォーマルな英語を出来るだけきちんと話す」必要性があると思います。が、そのような特殊な例を除けば大抵の場合は多少文法が間違っていてもそこまで大きな問題はないはずです。

なお、「ミスだらけなのは単にオマエがポンコツなだけだろう」というツッコミに対しては「私がポンコツなのは間違いない」と容疑を認めておきます。

この言説は自分の首を絞めます

冒頭の言説を内在化していると、自分が話そうとするときに自らの首を絞めます。というのも、よほど脳の性能が良い超人でもない限り、話し始めの頃は意図せぬめちゃくちゃな文法で話してしまうことが多いからです。誰だって間違いたくはありません。でも、慣れていないとメチャクチャな文法になってしまうのです。例えそれが三単現のsレベルのよく知っているものであっても、です。

それなのに、「間違いだらけの文法で話すアイツは基礎文法も知らないに違いない」などとしょうもない先入観を持っていたら、いざ自分が話すときが来たら「間違いだらけの英語を話して無知だと思われたくない」みたいな謎のプライドが頭をもたげて来ても不思議はありません。

他人に向けてる意識というのは自分にも跳ね返って来るものです。他人の文法とか発音とかそういうのをいちいち気にしない方が自分が話す時のハードルが下がるかと思います。むしろ、文法がメチャクチャだけどガンガン話してる人を見たら「なんだ、あんなテキトーでも良いんだ!😂」と考えた方がお得です。

私は半年前くらいにハーバード大学が開催していたパズル大会に参加したのですが、その時ボイスチャットでチームメイトが割としょうもないことでもガンガン意見として言っていたのを聞いて「なんだ、別にしょうもないこと言っても良いんだ😂」と安心して自分もしょうもないことを言いまくるようになりました😇 そんなものです。あそこで「オレはもっと利口な事を言いたい」とか考えてたらほぼ何も言えなかったと思われます。

たまに日本人が英語話してる動画とか見ると、コメント欄に「発音が酷い」とか「こんな程度なら俺の方が上手く話せる」とか「文法ミス多すぎ」とか延々と日本人による批判や揚げ足取りが陳列されている事がありますが、ああいうのはマジで止めた方がいいです。カメラの前で話してるだけで大したものではないですか。不完全でも実践できるというのは一番大事な事です。発音がどれだけメチャクチャだとしても私的には尊敬に値します。

完璧主義は語学学習における最大の悪弊の1つです。

私も完璧主義者だったら多分死ぬまでこんなブログ書けなかったと思います。
多分一生完璧になれないし。今後も存分にポンコツぶりを晒していきますのでヨロシク😂

大抵の場合、義務教育で英語の基礎はほぼ身に付いてません

さらに言うと、「義務教育で英語の基礎が出来てる」という前提は、日本人の中でも英語の成績が良かった一部の優等生にしか当てはまりません。

例えば、中学時代の英語の中間期末試験が毎回30点前後だった生徒と、毎回95点前後だった生徒を同列に並べて「日本人は義務教育で英語の基礎が出来ている」などと言えるでしょうか? 30点だろうが90点だろうが卒業はフツーに出来ます(最近はどうかわかりませんが、少なくとも私が中学生の頃は点数が悪くて卒業できない人間など周囲をどれだけ探してもいなかったと思います)。

私が個別指導塾の講師のバイトをしていた頃、「もう中学3年の夏休みだけどbe動詞が何だか分からん」みたいな生徒は山ほどいました。彼らがあの後、受験までの数カ月で英語の基礎を完全マスターしたというような話はついぞ聞くことがありませんでした。

自分が中学生やってた20数年前の記憶を辿っても、80点や90点の生徒よりも30点や50点の生徒の方が圧倒的に数が多かったと思います。

さらに、優等生ですら受験が終わるなり大学を出るなりして勉強する必要性がなくなったら英語をどんどん忘れていく人がそれなりにいるはずです。

そのような要素をアレコレ考えた場合、「英語の基礎が出来ている」と言える日本人の割合はどれくらいになるのでしょうか。

私と学校英語

個人的な話をすると、私が中高生の頃、英語は得意科目であり得点源でもありました。80点やら90点やらもよく取っていて、大学に行った後もそれなりに英語と接する機会がありました。が、大学卒業時の私は英検2級を取得していたものの「聞き取りも発話もほとんどダメで授業や英検の面接以外のフツーの状況では滅多なことでは会話が成立しない」、「英語の動画を見てもろくに聞き取れないし意味も分からない」、「大人が読む普通の洋書も英文ニュースもろくに読めない」始末で、義務教育のみならず高校大学の英語まで含めたあの頃の状態を「英語の基礎が出来ている」と形容して良いものか甚だ疑問です😇 私が10代の頃に掻き集めたあの80だの90だのいう数字の群れは何だったのでしょうか。謎です。

「いやいや、学校で英語の基礎を学んだから今英語がそれなりに使えてるんでしょ」と言う方もいるかもしれませんが、学校の世話にならずに韓国語やらベトナム語やらがある程度分かるようになった今となっては英語もやろうと思えば自力でゼロから出来たような気もします。

というのも私、今年の大学入学共通テスト(2023年1月のやつ)を全言語解いたのですが、英語の正答率が96%(191/200)、韓国語が71%(141/200)、ドイツ語が93%(186/200)、フランス語が58%(116/200)、中国語が44%(87/200)でした。なお、割合は小数点以下切り上げです。Excelで作った結果表でそういう表示になっているのでめんどくさいからそのままにしてあります。

ドイツ語は大学の教養科目でちょっとやっただけで後は全部自力でやって英語と大差ない点とれてますし、学校1mmも関係ない韓国語もそこまで悪くありません。というより私が現役だった頃のセンター英語が140(家で大量に解いてた予想問題集では大体160前後だったのにどうして本番だけこうなった😂)だったので今回の韓国語の方が若干上回っている始末です。その上、韓国語は完璧じゃないものの字幕なしでドラマ楽しめる程度にはリスニング出来ますし、会話も多少出来るしで明らかに高校卒業時の私の英語力(試験で点取る以外ほとんど何もできなかった)を上回っています。そもそもセンター試験に向けて必死こいて勉強した当時の英語と何も対策しないでぶっつけで解いた今回の韓国語が同じような点という時点でもう今の韓国語の方が上に見えます😇 そんなわけで、中高で全くやらなかった英語以外の言語の点数を鑑みるに、多分学校で教わってなくても私の英語は自力で今の水準まで来られたと思います。

そもそも私が興味本位で英語を始めたのは義務教育で英語が始まる前でしたし、中学生の段階で学校関係なく大人用の辞書を買ってゲームの台詞を解読したりオーストラリア人に英語で手紙を送ってみたりアレコレしていたので意欲もありました。にも関わらず私の英語力向上が韓国語やドイツ語ほど早くなかったのはインターネットの活用を大学出るまで思いつかなかったせいかと思われます。大学卒業後の私の語学力向上に一番寄与したのは多量の実践を可能にしたインターネットの存在でした。

人間は自分のした事をムダだとは考えたがらない生き物ですが、正直私の人生において学校英語がどの程度役に立ったかという点に関しては極めて低い評価をせざるを得ません。

まとめ

ぶっちゃけた話、語学学習に日本人だの義務教育だのそんなことは関係なかったりします。私がベトナムで知り合った英語が達者なお兄さんに「どうやって英語出来るようになったん?」って聞いたら、一言、「Youtube!」という返事が返ってきました。ベトナムでも義務教育に英語があるのですが、お兄さん曰く「学校の授業は全く役に立たなかった」ということです。私も同感です。

何故かは知りませんが、日本の書店には「中学校からのやり直し英語」みたいな本が乱立しており、日本人は義務教育で英語を教わる事にアイデンティティでもかけてんの?と思ってしまいます。だって、「大学からのやり直しドイツ語」なんて本はこの世にないじゃないですか。

個人的には中学英語とか高校英語とかそんな区分は大人になったら忘れてしまっていいと思います。大人になってまでなんで学校を基準にしようとするのか意味が分かりません。少なくとも私は「ここまでは中学ベトナム語」とか「ここからは高校韓国語でレベルが高い」とかそんなことを考えたことは1秒もございません😂

文法とか中学英語とか試験とか難しいこと考えずに、好きなジャンルの英語を読んで聞いて、コミュニケーションに使っていけばいずれ身に付きます。私は韓国ドラマを1000時間くらい見てから基礎の文法書を開いたら、その内容の8割9割が最初から知ってる感じになってて吹きました。中級韓国語文法の本ですら今や大して苦労せずに読めるようになっているのは我ながら驚きですが、結局のところ大量の実物と触れ合ってれば文法の勉強は最低限で済みます。

大量のインプットをしておけば、文法なんか知らなくても「ネイティブがそう言ってた」で何でもパクれます。私の韓国語も大体が韓ドラに出て来たネイティブのパクリで成立しています。おかげで教科書に載ってない時代劇の言い回しも結構覚えました。韓国に行って口を開いたら高麗時代からタイムスリップしてきた人みたいになる可能性が微レ存🤣

ギリシア語文法といえば、私はただ名詞変化と規則動詞と不規則動詞を学んだだけであって、貴重な時間の一瞬も、文法上の規則の勉強のために費やさなかった。…(中略)... 私はそれが文法書に記入してあるか、否かは知らないにしても、どのような文法の規則も知っている。そしてだれかが私のギリシア語の文章の誤りを発見するとしても、私はいつでもその表現方法が正確である証拠を、私が使った言い回しの出所を、古典作家から人に暗唱して見せることによって、しめすことができると思う。

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ベルリンの友人のルードルフ・フィルヒョウRudolf Virchowも、同様の方法で古典語を学んだと聞いている。彼の手紙にこう書いている、『私の一三の歳までポンメルンの小都会で家庭教授をとった。そこでの私の最後の教師は多大の解釈と作文とですこしも文法を教えなかった・・・』とその効果があったことを述べている。

シュリーマン自伝「古代への情熱」36ページ、153ページより

(↑の引用に関してですが、古代ギリシア語文法をがっつりやると病みます。昔半年くらいがっつりやったことありますが、マジでキツイ割にほとんど出来るようにならず途中で投げました。(しかも古代ギリシアの文献に興味がないので使う機会がない😇))

大体、文法をどれだけ知っていたところでそれらを全部正確に守りながら話すなんて(少なくとも私のような凡夫には)もとよりムリゲーです。きれいに話せるようになりたかったらひたすら練習や実践をして、地道に慣れつつ改善を繰り返す他ないと個人的には思います。

逆に考えると、中高で英語苦手で全然ダメだったという人がゼロから始めても全く問題ないということになります。実際、学校英語の成績は振るわなかったけど自分で練習して話せるようになったと言ってる人もネットでは結構見かけます。

一例を挙げると、↓の方がそうです。3年前くらいに見かけたのですが、英語ガチ勢であられまして、私は大変畏敬の念を抱いております。ここで引用するために数年ぶりにいくつかの動画を見たのですが、「やっぱりもっと話さないとだめだな(白目)」と会話量を増やす決意を新たにしたのでした。2つ目の動画は初めて見ましたが(私がYoutubeで日本語断ちした後に上げられた動画なので)、最早このレベルまで行くとネイティブとどう違うのか私には全く分かりません😇

そんなわけで、こまけぇ事は気にせずガンガン英語(あるいは他の学習言語)を使っていきましょう。

うーん、それにしても私は会話の上達に時間を掛け過ぎているような気がします。英語に関しては既にそれなりにインプットをしたので(何年インプットだけしてるつもりだ)、シュリーマンの如く今から3か月以内にある程度フツーに話せるように鬼のように練習するべきかもしれません。

「まとめ」って書いたのに何一つまとまっていない、反省はしていない😇

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