以前、こんな記事を書きました。
上記記事で、外国語を学習する際には、「その言語の使用目的を決めておき、その範囲内でどんどん使っていく事」が重要だと書いたのですが、この記事書いてから2年以上が経過した今、「はて、これは正しいのだろうか」と疑問を持ち始めました。
私はこのブログで「日本語で書かれた語学学習法なんて読んでる暇あったら学習言語の原文を1行でも2行でも読んだ方が良い」と主張してこのブログの存在意義を根本から否定しているにも関わらず、自分は未だに日本語で書かれた外国語学習法を読んでるという、パレスチナ問題を引き起こした某連合王国みたいな2枚舌ぶりを発揮しているのですが(アレは3枚舌だった気もするが)、最早これは趣味の領域なので仕方がありません。外国語話せるようになりたくて読んでるというより、単に読むのが面白いから止められない止まらないみたいな感じです。
今年に入ってからもその手の本を数冊読みましたが、そのうち一冊に関しては記事を書きました。
話が盛大に逸れましたが、そんな感じで結構いろんな人の語学学習論を読んでいると、
「学習目的を決めておくべき」
という主張が結構出てきます。出てきます、とか他人事みたいに言ってますが、上述の通り私も以前そんな記事を書いてます。
が、つい最近気づいてしまったのです。
「ワイが一番出来る外国語は英語だけど、英語に関する目標なんて何一つなかったやんけ」
そうなのです、何の目標もなくなんとなく使う範囲を無尽蔵に広げていった結果、会話も多少出来るし、本もニュースも読めるし、動画も映画も字幕なしでそれなりに分かるし、EF SETでC2判定食らうしみたいな感じで英語で割と何でも出来るようになってしまいました。
英語以外の外国語でも、比較的よく出来る韓国語は単に韓国ドラマとKpopにハマっただけ、ベトナム語は移住を目的にしてるけどやってることと言えばベトナムの政治のニュース読んだりサッカーの試合見たり歴史の本読んだりで移住と大して関係ないことばかりしてる気がします。
このような事を考慮に入れると、
「目標とか目的とか何も考えなくても続く言語が結局は身に付くのではないか」
と最近は考えが変わりつつあります。
英語だけは特別身に付きやすい言語
オンラインで海外を徘徊している私としては、これだけは言えます。
英語は使う機会があまりにも多すぎて何もしなくても勝手に身に付くし、避けることもほぼ不可能です。とんでもない頻度で使うので、最早文法が日本語とかけ離れてるとか全く問題にならないと思えるほどです。
例えば、最近は何語の動画であれ英語字幕がついてるものも多くありますし、オンライン上で母語が異なる誰かと話す時は大体最初は英語を使います。外国語を勉強するときも英語を挟むと膨大な量のオンライン教材をゲットできますし、プログラミングの情報も基本的には英語です。また、どこの国のニュースであれ、基本的に英語版があります。
私の英語力が伸び続けているのは使う機会がメチャクチャ多いからです。英語と同じ頻度でウルドゥー語やベトナム語やアイスランド語を使おうとしても無理です。これは英語だけに見られる特徴といっていいでしょう。
例えオンラインでも、海外で活動する限り英語の学習にこれといった目標は必要ないような気がしてきました。単にやりたいことや必要な事をやればいいと思います。
私がこのブログで常に「試験対策や単語帳なんてやってないで実践した方が良い」と主張しまくっているのは、一度実践し始めてそのまま英語で色々やるようになれば後は勝手に英語力が伸び続けていくからです。私はそうやって英語の能力を伸ばしてきましたし、私より英語出来てる人たちを見てても基本的に皆さん実践を大量に積み重ねています。
Youtubeで外国語学習法を流暢な英語で語っている英語非ネイティブの外国人は山盛りいますが、私が見た限りでは彼らのうち誰一人として単語帳や文法書を主力にしていた人はいませんでした。たまに日本国内のネットを見ると未だにTOEICの勉強が根強く支持されていて驚きます。日本人の平均英語力はTOEFLを見てもEF SETを見ても低いのですが、この試験人気を見てるとさもありなんと言う感じがしてきます。試験勉強をしてもしなくても結局多量の実践なしには伸びないのです。
私自身、近頃はとある新しい言語をネットでやっていますが、基本的な挨拶すら知らない状態でいきなりチャットを始めて超ぶっつけ本番で学んでいく感じにしています。昔ならいざ知らず、今は機械翻訳もあるし、オンライン辞書もあるし、基礎学習の素材もYoutubeに転がってますし、割とメチャクチャやりながら基礎を覚えていくことも実は大して難しくありません。初日からYoutubeとGoogle翻訳とチャットを組み合わせて過去形とか最上級とか関係代名詞とか間違いだらけでもボコボコ使ってます。そのうち全部使いこなせるようになると思います。分からない時は適当に英語を混ぜます。こんな感じで英語は結構どこでも使えます😂
是非ともネットで日本語圏から飛び出してみてください。むしろ英語を身に付けないようにする方が難しいレベルですので。少なくともリーディングとリスニングについては、特別意識を持って勉強する必要はあまりなくなると思います。仕事で使える文章を書いたり、すらすら話せるようになったりするにはそれなりに練習が必要ですが、その時にも事前に大量のインプットを重ねておくと役立ちます。
まとめ
何となく続けられるなら何となく続けた方が良いような気がしてきました。
しかしながら、ある目標に向けて積み上げをしていく方が性に合ってる人もいると思うので、結局はその人の好みによる、ということでしょうか。
私自身はよく考えたら「この言語で〇〇しよう」というような明確な目標を持ったことはなかった気がします。冒頭で挙げた記事は何だったんでしょうか。謎です。あの頃は何か目標を持っていたのだろうか。とはいえ、いきなり実践とか言われても何から始めていいのか分からんという場合は、上記記事に書いた内容も役立つかと思います。
おまけ: 謎は全て解けた😂
↑で「冒頭で挙げた記事は何だったんでしょうか。謎です。あの頃は何か目標を持っていたのだろうか。」とか書いたんですが、件の記事をもう一度読んでみたら最後の方に↓と書いてありました(読んでなかったのかよ😇)。
使用頻度が否応なく高い英語、韓国ドラマで覚えている韓国語、ベトナム移住を目指して様々な文書を読んでいるベトナム語等、用途がはっきりしている言語は長続きして、ある程度使いこなせるレベルまで持ってくることが出来ました。私が今回の記事で使用目的の設定をお勧めしたのは、そのような実体験があるからです。
語学を学ぶ時、真っ先にすべきこと
英語の使用頻度が高いというのはこの記事でも再三申し上げました。韓国ドラマやベトナム移住については本記事でも触れたんですが、2年前にはこれらについて「用途(目的)がはっきりしている」という認識をしていたようです。今現在の私がやっていることは2年前と特に何も変わっていないのですが、どうも認識が根本的に変わっていたようです。あと、韓国ドラマにしか言及されていないあたりまだ私の生活にKPOPが普及し切っていなかったことが伺えます。
今の私にとっての韓国語やベトナム語は用途とか目的とか何も意識しなくても日々当然のように使うものになっているのですが(だから本記事では何の目的も持たずに使っている、というような認識を書きました)、2年前は用途や目的を強く意識していたようです。
この変遷について考えると、
最初は目的を意識して習慣づけを始める
↓
目的とか全部忘れても勝手に続くまでやる
というのが良いのでしょうか。僅か2年で自分の感覚がここまで変化していたことに驚きを隠せません。(2年前にあの記事書いた理由覚えてすらいなかったし)
とはいえ、認識が変わっただけで結局やってることは大して変わらず日々の実践だけだったりします。
最近TOPIK II(韓国語能力試験)の過去問を4年ぶりに解いたという記事を書いたのですが、そこでも過去に自分が書いた記事が我ながらメチャクチャだったと驚いてたりします。
ただ、2年前といえば私はまだ日本語でTwitterやnoteをしてましたし、日本語メディアもフツーに読んでた気がします。
私はちょうどここ1年半くらいでオンライン活動における外国語使用比率を急拡大させたので、最早目的とか関係なく外国語がただの空気みたいな認識に変わってしまったのかもしれません。あるいは、英語学習を崇め奉るような日本の英語学習界隈の雰囲気と長らく距離を置いたおかげでそんなに堅苦しく考えなくなったのかもしれません。それか、外国語との接触が増えすぎたせいで思考回路自体が変容したのかもしれません。
しかし、いつも通り真相は分からず闇の中です😇