ずいぶん前にシュリーマンの外国語学習法について記事を書きました。
この記事の中で、やや曖昧になっていた部分がありました。
少し長くなりますが、引用します。
この簡単な方法はさしずめ次のようなものだった。非常にたくさんの分量を音読すること、短文を訳してみること(筆者注:後述しますがここは正しくない可能性あり)、毎日授業を欠かさないこと、興味を覚えた問題について常に作文を書くこと、これを先生の指導によって訂正し暗記すること、前日直されたものを次の時間に暗唱してみせるということだった。
シュリーマン トロイア発掘者の生涯 38ページ上段より
中略
さて、学習方法を列挙した引用文中に「 短文を訳してみること 」とあるのですが、「古代への情熱」には「けっして翻訳しないこと」と完全に逆の事が書かれています。これはドイツ語原文の
"keine Uebersetzungen macht(翻訳しないこと)"
が
"kleine Uebersetzungen macht(少し翻訳すること)"
と誤って読まれたとか誤植だったとか諸説あるようなのですが、今手元にあるEBOOKS.AT Verlag Klagenfurtにより出版された"Heinrich Schliemann's Selbstbiographie"には前者が記載されているので、ここでは「翻訳しないこと」をオリジナルとして考えて行きます。
この「翻訳」というのが一体「学習言語→母語」の翻訳なのか「母語→学習言語」の翻訳なのかは記載がないので不明ですが、シュリーマンが学習言語を書いて読んで覚えるという学習スタイルだった事から考えて、おそらく母語訳の方を示していると考えられます。
というわけで、誤訳なのか誤植なのか、解釈(というか訳文)が2つに分かれている部分があったのでした。
本記事では、この部分のどちらが正しいのか、シュリーマン関連著作の原典をあたって検証します。
結論
結論から言うと、「決して翻訳しないこと」の方が正しいです。根拠として3つの著作を引用します。
証拠著作1: Heinrich Schliemann's Selbstbiographie
上記引用部分にあったものです。日本で出版されている「古代への情熱」の原典でもあります。ドイツ語のシュリーマン自伝、本人が書いた部分です。
Diese einfache Methode besteht zunächst darin, dass man sehr viel laut liest, keine Uebersetzungen macht, täglich eine Stunde nimmt, immer Ausarbeitungen über uns interessirende Gegenstände niederschreibt, diese unter der Aufsicht des Lehrers verbessert, auswendig lernt und in der nächsten Stunde aufsagt, was man am Tage vorher corrigirt hat.
EBOOKS.AT Verlag Klagenfurt "Heinrich Schliemann's Selbstbiographie" 20ページより
太字にした部分は"keine Uebersetzungen"(英語で言うとno translationに該当)となっています。
証拠著作2: Ilios
Google Booksでシュリーマンが自分で書いた"Ilios(イリオス)"という著作が電子化されて無料でダウンロードできるようになっていました。出版年は1880年なので、1890年にシュリーマンが亡くなる10年前です。この著作の中で、本人はなんと書いているのでしょうか。
This method consists in reading a great deal aloud, without making a translation, taking a lesson every day, constantly writing essays upon subjects of interest, correcting these under the supervision of a teacher, learning them by heart, and repeating in the next lesson what was corrected on the previous day.
"Ilios" 9ページより引用
はい、太字部分を見ていただけると分かりますが、"without making a translation"となっています。これまた翻訳はしないということです。
証拠著作3: Schliemann The Story of a Gold-seeker
これはEmil Ludwigの著作であり、1932年、シュリーマンの死から42年後に出版されたものです。日本では「シュリーマン トロイア発掘者の生涯」というタイトルで出版されており、冒頭で引用した前回記事にも引用元として登場します。
この本のオリジナルもオンラインのUniversal Libraryというところに転がっていました。早速該当部分を確認しましょう。
"This simple method," so he explained in his old age, "consists in much reading aloud, without making any translations, having a lesson every day, writing essays on subjects of personal interest, correcting them under the supervision of the teacher, learning them by heart and reciting at the next lesson the material that was corrected the previous day."
Schliemann The Story of a Gold-seeker 29ページより
はい、太字部分を見ていただければわかる通り、原典では"without making any translations"となっており、やはり「決して翻訳しないこと」に軍配が上がります。
ちなみに、日本でこの本が「シュリーマン トロイア発掘者の生涯」という訳書として出版されているというのは上述した通りなのですが、この訳書では以下のようになっています。
この簡単な方法はさしずめ次のようなものだった。非常にたくさんの分量を音読すること、短文を訳してみること、毎日授業を欠かさないこと、興味を覚えた問題について常に作文を書くこと、これを先生の指導によって訂正し暗記すること、前日直されたものを次の時間に暗唱してみせるということだった。
シュリーマン トロイア発掘者の生涯 38ページ上段より
この訳がどこから来たのかは本記事で扱った資料からは判然としませんが、過去の著作を検証した限りでは「決して翻訳しないこと」の方がほぼ100%正しいと考えて良いでしょう。
まとめ
そこまで調べてないので分かりませんが、この「短文を訳してみること」みたいな説が出回ってるのってもしかして日本語圏だけなんじゃないのと思い始めました。何しろ英語やドイツ語のものは(私が見た限り)全て「決して翻訳しないこと」となっておりますので。
そんなわけで、本記事はこういう謎を解く際にも外国語が極めて有用であるという好例になったのではないでしょうか。
外国語学習の際、翻訳は何もわからない学習序盤に使用するだけに留めて、あとは実際に学習言語を使いまくって体で覚えてしまう方が良いかと思います。